結果が評価される世の中 その過程の努力は評価される?
オリンピック・ワールドカップ・国体などなど
まさにスポーツ界が賑わっている昨今であります(違う意味で賑わっているのもありますが><)
スポーツだけに限られた話ではないのですが、
「とにかく結果が全てだ!結果を出せ」
「提出期限は明日だ!明日までに必ず仕上げろ!」
「結果がだせない奴は必要ない、必要とされる場所へ移動を考えたらどうだ?」
勝負にこだわる監督⇔レギュラーポジションをつかみ取りたい選手
結果を求める上司⇔結果を出し続けなければならない部下
よく聞く話であると思いますし、正しい考えだと思います。
どのような結果を残してきたのか?ということはその人物がどういうことが出来るかの判断材料として最重視されるところだと思います。
また、判断してもらう側にも
このような事が出来ます!
と自分をアピールできる最高の材料であり他者との差を見せつけるポイントです。
では、結果を出すにあたっての過程の努力はどうなのだろう・・・・
「徹夜してなんとか終わらせました」
「書店で書籍関係を集め、初めての方でも分かりやすくまとめてあります」
「休日返上でトレーニングを積みました。そのお陰もあって試合ではいい動きができました」
「徹夜したのですが、終わらせることができませんでした」
「書店で書籍関係を集めたのですが、うまくまとめることができませんでした」
「休日返上でトレーニングしたのですが・・いい働きができず申し訳ありません」
同じ努力をしたとしても、やはり結果が出なければ徹夜した努力も全く意味をなさないと思ってしまいます。
ですが、この話は評価する側が思うことであって、本人にプラスに働くことが多いと思います。
必ずしも過程(努力)が評価されるとは限りません。ですが、結果のみを求めると大切な何かが見えなくなっていく気がしています。視野が狭くなるのでしょうか・・・
過程にこそ私たちの真実(意思)が隠れている気がします・・